こんにちは、元介護職員、在宅でお仕事しているゆるふわです!
↓前回の話はこちらからどうぞ↓
不思議なご縁
これも、特別養護老人ホームでのお話になります。
私は、派遣職員でしたので、期間が3年で満了となります。
特別養護老人ホームに勤めるようになって、
すぐに、私にはここは続けられないな。と悟りました。
介護スキルがバキバキにあるか、体力があるか
何も感じないか。そういう人ではないと普通レベルの私では
ごめんなさいするしかないだろうと思ってお仕事していました。
私は、有料老人ホームで3年満了していますが、ここは看取りなしだからです。
そして、看護師さんたちが一緒に判断し、寄り添ってくれていたので
仕事がしやすかったのです。そこを社員にならなかったのは、
またいつかお話しします。
有料老人ホームで大好きな先輩と出会った頃は、
少し苦手なタイプな人かなと感じたのですが
3年満了するころには、とても仲の良い人間関係になっていました。
たくさんお世話になったとても仕事が手際のよい先輩でした。
その方のスキルを盗もうと、こっそり見にいったりすると
先輩は、それを決して見せてはくれませんでした。
「そんな技、なんにもないよ」というばかりでした。
誰よりもゆとりをもってお仕事していたので、尊敬していました。
ちょっと物の言い方が、微妙ではありましたが、
私は仲良しさんになってしまっていたので、気にならなくなっていましたが
後輩たちにわかりやすく、彼女の言わんとすることを説明したりは
していました。なので後輩たちもどんどん彼女を好きになっていきました。
大好きな仲間たちと特に3年目は楽しくお仕事させていただきました。
いろいろありまして、結局次の特別養護老人ホームに勤務が決まりました。
名字が違うから、わからなかった
特別養護老人ホームに勤務して、約半年がたったころ
大きなおじいちゃん、森さん(仮名)が入所されました。
それに伴い、1ユニット8名満床になりました。
そうです、人手不足だったので入居者様が7名だったのです。
私が半年たったので、満床になったようです。
7名でも私にとっては、有料老人ホームにいたころとは違い
自分で決断し、自分でやる。もう一人協力ユニットはあるが、同じように
1人で8,9人をみているので、手伝ってほしいとお願いするのは本当に無理な時だけ。
排泄介助、起床時間、起こす順番、食事を提供するメンバー構成、食事を準備する、
食べている間に、次の人を離床介助とナースコール対応、病変、すべてに一人で
対応する時間が長く、看護師は責任とりたくない人が多く相談も成り立たない。
同じユニットの社員さんたちは、とても優しくいい人たちなのですが、
めちゃくちゃ仕事のできる人たちで、手伝いとかいらないタイプだったので、
出来ない人の気持ちがわからない、そんな環境でした。
派遣の私がなぜここまで責任を負わなくてはならない?!
当時、息子は高校生で私立に通っていたので、仕事をやめるわけには
いかなかったので、やりきりたい、でも心も体もしんどい日々
いろんなプレッシャーに押しつぶされそうになっていた頃でした。
あれ?見たことある車だな~
森さんが入所して、半年したころ施設の駐車場に懐かしい見覚えのある車があった。
この頃は、コロナで面会が基本は禁止でしたので、森さんがターミナルに
認定されて、面会に来たのが、有料老人ホームでお世話になった先輩でした。
「え?森さんって、先輩のおじいちゃん?!え?週一でいつも実家に帰って
入浴させてたとか話を聞いてたおじいちゃんが森さん?」
「そう」
ははは、世間は狭いわ。名字が違うからわからなかった。
先輩の身長の高さは、おじいちゃんゆずりかと納得したのでありました。
先輩に特別養護老人ホームの話や、森さんの話をしていたら
心が軽くなりました。そして先輩に
「大変だろうけど、おじいちゃんのこと引き続きよろしくお願いします。」
「はい!」
と言った瞬間に、ヤバいやめられなくなってしまった。。。
先輩にはお世話になったし、面倒見るって言ってしまった。。。
あきらめて、森さんが亡くなるまでは、頑張ろうと決めたのでした。
でも、お陰様で先輩と森さんの容体などを共有したりお話をできたので
心は軽やかにその頃はお仕事していたと思います。
もちろん、私にできることは何だろうと先輩のおじいちゃん情報を
参考にいろいろ最後まで試すのでした。
そのころには、もう森さんはお話を出来ませんでしたから。
余計に家族様からの情報はありがたかったです。
森さんの最後の日
私は、その日も遅番で いつお亡くなりになってもおかしくなかったので
先輩と密に連絡を取っていました。
しかし、私の勤務時間は終了し、夜勤者にあけわたして帰宅するしか
ありませんでした。
私の勤務時間中に、森さんの居室より黒い影が出ていくのが視えたのです。
どこへいくんだろう?!
有料老人ホームでは、私が霊感体質なのを話してたしいろいろあるのを
解決もしていたので、ゆるふわさんはそういう人というのが浸透していたのですが
特別養護老人ホームでは、同僚と同じ時間に同じ仕事をする時間がほぼなかったため
多分、今夜逝ってしまうだろうと言うに言えず、先輩には連絡入れておいて
帰宅しました。
案の定、明け方呼吸が変わって10分で逝ってしまったそうです。
先輩家族は看取りたいと言っていたので、夜勤者に早めに連絡してください
とお願いはしていましたが、間に合いませんでした。
先輩からは、「ゆるふわちゃんのお陰で、出れる準備はしてたから
おじいちゃんにあたたかいうちに会えたよ、ありがとう」
今思えば、森さんの看取りのあたりが一番しんどかったのかもしれません。
その後を追うように、2名が1か月の間に逝ってしまったのですから。
その時期を大好きな先輩と連絡をとりながらお仕事が出来たことは
仕事を続けなければならなかった私にとって先輩は救いの女神さまでした。
森さんにも、やれることをやりきれて本当に良かったです。
今日も、読んでいただき、ありがとうございました。
元介護職員、在宅でお仕事しているゆるふわでした。
次回に続きます。